仙台の視察三か所目は、海岸公園整備事業。これだけでは何のことやらですが、を防災機能を備えた公園での高台の整備について調査しました。
名古屋では港区の船頭場公園で津波避難施設となる高台の整備に着手することが決まっています。私は、静岡県袋井市の命山を視察し、名古屋でも命山を!と質問でとりあげ、港区の議員みんなの要求にもなっています。ここだけは行きたい、と土木交通委員会の委員長としてこだわりました。
仙台市の海岸公園は3.11の津波で壊滅的な被害を受けましたが、公園の再整備の中で四つの高台広場=避難の丘を整備中です。高さは海抜10~15m、想定津波浸水深から3mの余裕を確保し、避難面積は避難者一人当たり2㎡としています。四か所合計1970人分、3940㎡になります。
名古屋では想定浸水新mのところに海抜7mの丘をつくる計画ですが、一人当たり面積は国の指針どおり1㎡です。2㎡には仙台市の震災を経験して長時間とどまる可能性、災害弱者が横になれることも踏まえて国の指針の倍のスペースが必要と判断したとのこと。救助までの時間が長引くことも考慮して、防災あずまやも整備しています。
国の復興交付金を活用した事業ですが、復興庁との協議はいろいろときびしいやりとりがあったとうかがいました。
防災減災対策としては、もちろん高台づくりがすべてではなく海岸堤防、海岸防災林、県道かさ上げ、などの多重防護による減災があり、避難の場所や経路の整備があり、高台や内陸部への移転も組み合わせています。今回は土木交通委員会の視察なので、公園整備の視察ということに限定しています。
視察したのは井土地区「避難の丘」は、もともと公園の冒険広場の一角にある展望台でした。東日本大震災時には、7メートルを超える津波に襲われましたが、高さ15メートルのこの丘に5人と犬2匹が避難し、救助されました。
周囲の松林はほとんど流されてしまい、景観は一変しています。
その丘を活かして、避難経路となるスロープ、ソーラー照明、防災あずまや、およびヘリの離着陸スペースを整備しています。普段は公園として利用しながら、いざというときは

避難スペースとなります。
5年前、震災後の5月に党仙台市議団のか方に案内していただき通った荒浜地区、蒲生地区、貞山運河や県道周囲の姿がよみがえります。もう人が住む建物は影も形もなく(移転)、道路のかさ上げ工事も続いており、災害復旧のダンプカーが列をなして走ります。ここでは震災はまだ復旧なかば、何も終わっていない、と実感しました。市中心部とは全く違った海岸沿いです。
忘れるわけにはいかない現実があります。活かすべき教訓があります。
仙台空港の売店で「みやぎの海辺 思い出の風景 航空写真集 2011.3.11を境に」河北新報社刊を購入し、次の視察先である札幌の向かいました。
