成瀬昇さんを偲ぶ
4月15日 「革新の道 あせらず おこたらず 成瀬昇さんを偲ぶ会」が日本ガイシフォーラムレセプションホールで開かれ、各界から370をこえる方々が参加し、在りし日の成瀬さんを偲んだ。
元愛労評議長、全国革新懇代表世話人として、革新統一のために誠心誠意、ぶれずに奮闘された成瀬さんは、名古屋と愛知の革新・民主の運動の発展を支えた功労者である。70年代に革新本山市政を誕生させた生みの親の一人でもある。氏のまっすぐな生き方が多くの人々をひきつけた。
社会党の右転落と労働戦線の右翼的再編の嵐の中で、労働者の生活と権利を守るには、反共主義の克服が欠かせない、として社会党を離党し、自らの信念を貫かれ、政党では日本共産党だけが推薦する市長候補の応援に立ち、革新婚運動のリーダーとなり、憲法九条を守る運動の牽引車ともなった。
私にとっては、1989年の名古屋市長選挙で竹内平さんの応援に立った成瀬昇さんの姿がいまも鮮明に記憶に残っている。筋金入りの労働運動の活動家とはこういう人のことを言うのか、と氏の演説を聞いて思ったものだ。
筋は通すがユーモアもあり、ただお堅いだけの人物ではなかった。筋を通しながら、柔軟な思考と行動、そして人間的魅力で、仲間を増やし戦線を広げていった組織力はすごいものだった。氏の生き様から、まだまだ多くを学ばねばならない。
氏の遺志をしっかりと受け継いでがんばりたい。
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コメント
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私も「14氏の会」でご一緒させていただき成瀬さんの豪快な武闘派的人柄に触れ、こういう人が名古屋市議会にいたら河村は1年持たなかっただろうと思います。ご冥福をお祈りします。
投稿: 後藤 裕次郎 | 2012年4月16日 (月) 07時21分
野武士のごとく ですね。 偲ぶ会では成瀬氏の肉声(演説の一節)が流されていましたが、いま聞いても、わかりやすく、力強く、気持ちがこまった訴えに圧倒されそうでした。
足元にも及びませんが、議会でもやさしくわかりやすく、でも時々はしっかりと吠えることも忘れずにがんばります。
投稿: 山口清明 | 2012年4月21日 (土) 16時17分